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電話がかかってきた。

『出たよ』



金曜だ。
村山士長 明日除隊だよ



ブログ発覚から2週間。

自衛隊を辞めるには最低でも1カ月は要すると言われる。
しかしこの場合は、特別なのだろう。

たったの2週間で、除隊まで。



朝、私は所属する飛行隊を離れ、隣の整備員に挨拶に行った。
整備部では、もう大体の隊員はしってるらしい。

白い目で見る者もいれば、無視する者もいた。
しかし私の立場や気持ちが分かる者は少なからずいた。

この除隊日記を、彼らもいま読んでいるはずだ。

だからここでは「彼」の正体を明かせないが
長年自衛隊に勤め、航空機の整備に携わってきたある人に
私は呼ばれた。




残念…
いやちがう

無念やったやろ?

パイロットって変なやつ多いしな
あいつら金貰い過ぎて頭おかしくなっとんねん

わしはおまえと同じ中立派や
ザ・ジエイカンとはちがう
だからお前の気持ちわかる

そう言われた。



私は整備員がどれだけつらい苦労をして
毎日のフライトを実現してきたか、見てきた。
私もパイロットの使いだったから、少しはわかる。
パイロットが無理難題を押し付け、整備員を悩ませてきた場面も見た。

だってパイロットと整備員の間には
天と地ほどの階級の差があるから。
なんで整備員に手当を出さないのか
整備員がいるから彼らはフライトに出られるんじゃないのか?







なんであんなヤツが隊長やってるんだ?

私は当時そう思っていた。



私は大久保3佐に呼ばれた。

エンペラーホールに。


DSCF4453.jpg
注意
それは処分ではなかった。
大久保3佐の連日の徹夜が、このような奇蹟をもたらした。

その後私はエンペラーに、こんなものを受け取った。
たぶん私だけだろうこんなレア物を持っているのは。
DSCF4456.jpg
DSCF4457.jpg









1930当直室前集合


浜3曹との約束。


58会やろう
昭和58年生まれ同級生の会




大卒で入った私は4年遅れだから、私以外の同級生はみな先輩だ。
一人だけ後輩もいたが。

みんな本当にいい人だった。

一人、59年生まれのN士長という隊員がいる。

私は彼と同部屋だったとき、N士長が領空侵犯をしてきたので(つまり部屋の広範囲を私の出張中に占領していたのだ)激しい喧嘩をしたが
今では心から彼に感謝している。
当時は腹が立って仕方なかったがそれをきっかけに学んだことも多かったからだ。
彼は真心で私を送り出してくれた。
うれしかった。


58会は最終回を迎えた。

あんな思い出に残る飲み会はなかったと思う。

隊をあげての送別会はなかった。
みな知らない
私が辞めること。

私が消えた後に知る。

『退職を承認する 9月18日付
 村山士長』

その命令が来週読みあげられたとき、全隊員に知れ渡る。

村山は辞めたらしいぞ

なんで

知らない





それを知ってる58会の同級生だけは、お忍びで送別会をやってくれた。

DSCF4003.jpg

あの日から…

あの日からもう半年になる。

                ~最終回へ続く~
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