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私はいま民間人として働いている。
このゴールデンウィークは自衛隊時代は最低2週間はもらえていたが、いまや私のG.W.休日は半日。半日?!
忍耐強い上司がおもわず洩らした本音。
「世間がこれだけ休みやゆうてもワシらはこれや。働いて寝てまた働いて寝るだけ。一体何やろな…」

ああやっぱりみんな同じことを考えていたんだな…。
やっぱり自衛隊と言っても公務員。公務員は休みが多くて最高であった(笑)。
私もごく普通の人のように遊びに行きたいんだが…。


さて、前回からだいぶ期間が開いたが自衛隊戦記の続きををかきはじめる。

平成18年7月某日。
リタイヤを高らかに宣言した私が、父から電話で怒鳴られ帰ってくるなと言われた場面で終わった。

辞めると言った隊員には必ず面接が実施される。
それは階級の低いものから順に何度も行われる。
まず班長の3曹とは面接をしたうえで、今度は2曹の別の班長がやってきた。
その2曹の教官は今でも私に強烈な印象を残す人物であったいわゆるザ・ジエイカンの一種ではあるが私は彼の存在とその言動に今、心から感謝している。
残念ながらその全ての言葉を覚えていないそれは仕方がないと思う。
当時の私は早く辞めたい団体生活から逃れたい、そればかり考えていたから。

けれども教育隊の卒業式に彼から言われた言葉がある
「辞めんでよかったな」
私はその言葉を聞いたとき、まるで3年にも感じられた長い4か月の数々の思い出が一気に蘇ってきておもわず涙した。
彼と出会えてよかったと思う。
自衛隊に入隊しなければ彼と会うこともなかったならば…いや だから
自衛隊員で良かったと

思う。

彼が私に伝えたかったことは何だったのか今でも考えることがある。
自衛隊に何十年仕えてきた彼
新隊員課程で任期制隊員として入隊し、やっとの思いで空曹に昇任し新兵の教育に奔走する毎日。
少なくとも私は彼の影響を大きく受けた。

一体面接で何て言われたっけ(笑)


私は次に区隊長の2等空尉の面接にステップアップ(違)することとなる。
区隊長はラーメンマンみたいな顔をした人で、関西人でありながら標準語を無理して話すがために異様なイントネーションの話し方となってしまう、面白い人であった。

まあそんな話はどうでもいい
区隊長は趣味のバイクの話をして、私の心をつかもうとした。
非常にべたな作戦であったことは明白である。

「俺速いバイクが好きでなぁ!」
はぁ…私は速いの興味ないですが


結局私は面接でやめると言い張ったが
その後父からあの一件があったので
「もう少し頑張ってみるか」とやり直すことを告げた。

『もう甘ったれたこと言うなよ』
班長にそう言われ私も次は簡単に辞めるなどと言うのはやめようと
イヤなことうっとうしいことムカつくこともたくさんあったが全てを乗り越えてきた。

あの父の言葉があったから。

そして私に信頼できる同期がいたから。
だから楽しいこともけっこうあった。


教育隊の毎日では班長の教育に熱意があった
それをひしひしと感じた。


・・・・・・


いま全国の部隊で私の同期が活躍している。
東北の大地震で荒れ果てた地を、また人々を
たくさんの自衛隊員が救っている
それは私の誇りである。

自衛隊に反対する人に聞いてみたい
こんなとき出動するのは誰なのか
自衛隊を無くして果たして日本が無事でいられるのかどうか

この国になくてはならない組織だと、元自衛官の私は思う。

                     ~第8話につづく~
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